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②⓪映画から考えるスポーツ教育、スポーツ指導の前にスポーツってなんだ?~僕らと一緒に遊びましょ~

急にどうした?

タイトルが、周防大島とは関係ないじゃないか!そうだ今日は普段の僕の勉強の一部を皆さんに共有したいと思う!

僕は普段人間健康学部っていうなにしてるか聞いただけじゃわからんところに在籍している笑(いや笑い事じゃない。真面目に宣伝もかねて説明しよう。)あ。学部の名前だけで大学の名前わかっちゃう。(スルーしてください)人間健康学部はざっくりと説明すると、スポーツ、福祉、ユーモアの三要素の融合した学びをするところって感じ。well beingよりよく生きるために多角的な視点から人間の健康について学ぶとこ。ここでの学びは自由!

僕のゼミは地域開発笑。スポーツ?社会福祉?ユーモア?いいえ地域開発。自分の関心に柔軟に対応してくれる教授陣の下で学生が主体となって様々な活動ができるユニークな学部であることを多くの人に知ってもらいたい。

ここで勉強する学生の一人が授業を通じてどんなことを考えているのか、少し書いてみようと思う。

規律と強制、管理と指導。指導者が導く〝勝利〟への道

昨今のスポーツ界では指導者の在り方が問われている。とくに学生スポーツの舞台における「体罰」の問題(桜宮高校バスケット部で起きた指導者の不適切な指導など)が表面化し、現在も多くの競技において、「指導」に関する問題が起こっている。

昨年の春、入学してすぐの授業で、取り上げられた実話をもとにして映像化された”コーチ・カーター”を例に指導について考えてみたいと思う。

まずは、作品の紹介から

https://www.netflix.com/search?q=%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC&jbv=70019004&jbp=0&jbr=0

チームビルディングの過程で学生たちに成績基準、服装、行動に規律を求め、契約という形で選手に順守をさせる。バスケットボールの指導においても、コーチに対する反抗には、罰則をもって対処し、自分の指導を徹底していく。いうなら選手を「管理」する指導方法である。

指導する立場にあるカーター、指導される選手の関係性の中で「強制」が垣間見える作品であると感じる。

カーターは言う「無敵のチームを作る」確かに彼のチームは連勝を重ね、州大会に出場できるほどのチームに成長を見せるが、それまでの過程には、カーターによる管理と強制に反意を示す場面や、選手たちとの食い違いも描かれている。

しかし、カーターによる管理と強制の本質的な意味を理解した選手たちは、自らに規律を求め、自らを律し、仲間を助け、本当の意味での”チーム”に変貌を遂げる。

カーターによる管理と強制の下で成長した彼らは、自分と向き合い、本当の意味でのチームを作り上げ、カーターの言う無敵のチームに欠かせない”内面の勝利”の意味を理解していた。

ここに挙げる”内面の勝利”とは何か。それは、過去の自分への勝利ではないだろうか。変化することを恐れる自分に勝つ。それが、スポーツを通じて学べる勝利なのではないか。

この映画を通して僕はそんな風に思った。

ここで、自分の競技人生や日本の学生スポーツの現状を振り返ってみる。指導者による管理と強制の弊害が見受けられる。選手の思考、判断を阻害している。日本大学のアメリカンフットボール部の悪質タックル問題を例にとると、宮川選手の判断は、内田氏の強制を垣間見る。行き過ぎた管理と強制が一般化している日本のスポーツ界にこれから指導者として踏み込む学生は、管理と強制の匙加減を考えていかなければならないと思う。

選手・チームのマネージメントに、指導者からの無秩序な管理と強制を排除しなければ、日本で本当の意味でスポーツを楽しむことはできないだろう。

勝利至上主義と選手起用。勝つことを目標に

つい最近の授業でも、スポーツの指導について考えさせられるテーマがあった。題材となった映画は”がんばれベアーズ”弱小チームを率いることになった”バターメーカー”の選手起用について考えさせられた。かれは、スカウトした能力の高い選手を優先的に起用し、勝利を追及していくコーチングを展開していた。

彼の指導は、自分の勝利への欲望を子供たちに押し付けているかのように映った。ここでのテーマは指導と勝利至上主義だった。

スポーツをするうえで”勝つ”ことを目指すのは悪いことではない。むしろ普通だ。勝利へのあくなき探究心はスポーツにおいて欠かせないものであることは重々承知している。がしかし、彼の指導している対象は、小学生。スポーツの楽しみを理解させることが先決のように感じた。

ジュニアのスポーツは特に、選手間の能力の差が激しい。能力の高い選手にとって能力の乏しい選手とのプレーは退屈に感じれることもあるだろう。反対に、能力が発展途上の選手にとっても歯がゆい思いをすることがあるだろう。両者の差をうまく融合し、チームビルディングすることが求められているのではないだろうか。そうすることで子供たちは、協力することを学び、成長していくに違いない。

勝つためには手段を択ばなければならないことを子供たちに理解させる。「勝利はあくまで目標であって目的ではない」ことを指導者たちは理解しなければならない。

勝つことを多方面から教える。そんな指導者を理想と考える。

スポーツって?

ここまで、スポーツの指導、スポーツ教育を考えているが、指導、教育の前に”スポーツ”とは何か、本質的なスポーツを理解することが求められているように感じた。

歴史をたどればスポーツは、生活の一部分であった。狩猟民族の時代、走る、投げる、飛ぶスポーツの基本動作は、このころに習得していた。ギリシャ時代に賭けの対象として、現在のボクシング?格闘技のようなものが発達したようだが、今の形のスポーツは、産業革命によって機械化されたことにより上級階級の貴族たちの暇つぶしであったわけである。

スポーツはもともとは、遊びだったわけである。これがスポーツの本質ではないだろうか。

スポーツ=遊戯これが僕の考えるスポーツ!

身体的、心理的な活動を伴う遊びは、スポーツと呼べるのでは?逆に言えばスポーツとは身体的、心理的な活動を伴う遊戯である。

このことを根底にスポーツ教育を考えてみると、自発的な活動の中で、自律を学ぶこと。これがスポーツ指導の大きな柱になるのではないだろうか。

島育ちの島あそび

ここまで、スポーツと教育、指導について考えてみたけれど、僕らの育った環境は、スポーツ教育の柱に近いものがあることを思い出した。

幼いころの僕らの遊びは、秘密基地づくり(勝手に人の家の古民家に侵入w)、野山を駆け回って(他人の所有する山の中)鬼ごっこ、用水路をせき止めてメダカ釣り。こんなことが日常だった。(今考えれば、大迷惑な話し)しかし、ぼくらは物心ついたころから、自分たちでルールを作り、変化させ自分たちで遊ぶことが当たり前だった。テレビゲームを持つ友人も中にはいたが、みんなで集まって遊ぶときは決まって自然の中で、あるものを使って、手作りで遊んでいた。

そんな環境で育った僕らは、20歳になった今でも、新たな”遊び”を思いついた。自然をフィールドに。

そう。映画祭!!!

少し大人になった僕らの作る遊びを、多くの人と楽しみたい!そんな思いでいま、形を作ってる!一緒に遊びませんか?

周防大島にて、全国で初めて、学生が主催する、野外映画祭を企画中!

最後無理やりまとめたぜ。

 

 

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